三井物産会社員時代に不動産3億円分購入。埼玉の超進学校「浦和」→東大落ち慶應、 「神童」だった彼が"挫折"の味知った浪人時代の記憶

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川﨑さんは母親の地元である岩手県の宮古市に生まれ、そこからすぐに埼玉県の草加市に移り、会社員の父親、専業主婦の母親のもと育ちました。

地元の公立小学校時代には常に成績がトップの学級委員。市の陸上大会で入賞したり、絵を描けばコンクールに入ったりというような優等生でした。

地元で「神童」のようだった川﨑さんは、やがて「天狗になってしまった」と語ります。その考えを改めさせるため、両親が密かに仕組んだのが中学受験でした。

「塾には通っていなかったのですが、中学受験で特に難しいとされる筑波大附属中学校の願書を親が勝手に出していて、受けてこいと言われました。それで試験の1カ月くらい前に過去問を解き始めたのですが、意味がわからなくて、同い年でこれを解いている人がいるということが信じられませんでした」

もちろん合否は不合格。井の中の蛙だったことを知った川﨑さんは、入学した公立中学校でも文武両道を体現する生徒でしたが、天狗になることはなかったそうです。

中学での学業成績がずっとよかった川﨑さんは、高校受験の勉強も頑張って、埼玉県有数の進学校、県立浦和高等学校に進学することができました。

高3で東大を受験しようと考える

県立浦和高等学校に進学した川﨑さんでしたが、入試の得点がギリギリであったこともあり、成績は下の方だったようです。

「入って最初の中間試験や期末試験を受けたら中の下くらいの成績でした。僕の通っていた地元の中学校は当時は荒れていたので、生まれて初めて自分が平均より下になる環境に入ったので、衝撃を受けました」

高校時代の川崎さん(右)(写真:本人提供)
高校時代の川﨑さん(右)(写真:川﨑さん提供)

中学では野球部の部長として全国大会準優勝も経験した川﨑さんは、県立浦和高等学校の中でも特にしんどい部活と言われていた水泳部に入ります。

毎年インターハイ出場者が出る部活に初心者で入った川﨑さんは、毎日19時までの部活にフラフラになりながらも、現在に通ずる体力を身につけることができました。

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