「役割」を演じるのはなぜこんなに疲れるのか。「理想の母親」「理想の上司」の仮面を外せなくなった人に起こる異変

本当の私は一体どれだっけ?
社会で生きていくために、私たちは所属するコミュニティや場面ごとにいくつもの役割を使いこなしています。家庭では父親の顔、母親の顔、学校では先生の顔、生徒の顔、会社では上司の顔、部下の顔など、ひとりの人間にもいろいろな顔があります。
社会に適応するために、その場に応じた振る舞いや言葉づかい、考え方をするのは健全なことです。精神科医・心理学者のユングはこれを「仮面」という意味で「ペルソナ」と表現しました。私たちは所属する社会やコミュニティに応じて仮面を付け替え、自分を守りながら社会で生きています。
ところが、役割演技が続いて、仮面を外せなくなると、役割と自分が一体化して、役割を自分と思い込んでしまうことがあります。今の自分が役割なのか、素の自分なのか、わからなくなることも生きづらさを生みます。近年は、自分の適性や信条、価値観に合わない役割を強いられる機会が昔より増えているように思います。管理職として「こうすべき」「こうしたほうがいい」と役割の自分で考えているうちに、「自分は本当はどうしたいんだっけ?」ということが見えなくなってしまう。こうした悩みを本当によく聞きます。
役割で生きている人が、周りの期待や求めに応じて過剰適応していると、働きすぎや過重労働につながる怖れもあるので、注意が必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら