「南海の和泉中央」駅長に聞く泉北線終着駅の変遷 かつて「泉北高速鉄道」の本社があった駅ビルは今

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「いまは通しの運賃となって安くご利用いただけるようになりました。実は中百舌鳥から難波までより、中百舌鳥から和泉中央までのほうが距離が長いのですが、以前は『5駅しか乗っていないのに運賃が高い』ともよく言われていました」(鎌倉さん)

鎌倉さんが泉北高速鉄道時代に力を入れたことの1つが駅のトイレのリニューアルだった。「商業施設のきれいなトイレをイメージしました。とくに女性用は洗面台とは別にパウダーコーナーを設けています」。

泉北高速 3000系
泉北車両の大ベテラン3000系。南海電鉄創業140周年のヘッドマークも(記者撮影)
【写真をもっと見る】商業施設「エコール・いずみ」の予定地はまだ“山”だった和泉中央駅の建設中の様子。そして現在、普段立ち入ることができない駅ビル屋上から見えるのは……?(90枚)

泉北高速鉄道時代の思い出

置田駅長は、泉北高速鉄道時代について「会社自体が小ぢんまりしていたので職場の枠を越えて顔なじみの社員ばかりでした。お客様も同じで、車庫でのイベントの際、子供さんを連れたお母さんが『この駅員さん、私が学生の頃からいてるわ』と話しているのを聞いて『自分も年いったな』と感じたことがあります」と振り返る。

駅や車内の表示は南海のスタイルに統一され、元泉北車両の車体側面のロゴも「NANKAI」に変わるなど泉北の独自色は薄れつつある。だが、歴史ある南海本線・高野線の沿線ではあまり見かけない、和泉中央駅の近未来的で重厚な造りの駅舎はこれからも泉北高速鉄道の記憶を語り継いでいくに違いない。

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橋村 季真 東洋経済 記者

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はしむら きしん / Kishin Hashimura

三重県生まれ。大阪大学文学部卒。経済紙のデジタル部門の記者として、霞が関や永田町から政治・経済ニュースを速報。2018年8月から現職。現地取材にこだわり、全国の交通事業者の取り組みを紹介することに力を入れている。

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