江戸時代に御法度だったのはよく聞くけれど… 昔の日本で「肉食」が《1200年もの間》禁止されていた"実は合理的な理由"
時は飛鳥時代。538年に朝鮮半島から日本に伝来した仏教には、「殺生禁断」という生き物を殺すことを禁じる教えがありました。生き物を殺生すると、罰(バチ)が当たると考えられていたのです。
この教えにもとづき、675年に天武天皇が牛や馬、犬や鶏、猿の肉などを食べることを禁止する法令「肉食禁止の詔(みことのり)」を出しました。これが日本で初めて出された「お肉禁止令」だとされており、その後も時代によってたびたび発令され、日本の食卓から牛肉が遠ざかる大きなきっかけになりました。
天武天皇は、仏教の教えを忠実に守ったのです……。
天武天皇が肉食を禁じた「本当の目的」
……というのは、じつは建前。この肉食禁止令には、なんとも不思議なルールがありました。それは、4月から9月までを適用期間としていたことです。つまり「春から夏は肉を食べたらダメだけど、秋や冬は食べてもいいよ」という、厳しいのやら緩いのやら、よくわからない取り決めだったのです。
勘のいいあなたなら、ピンときたかもしれません。4月から9月という期間は、田植えや収穫など、農作業が最も忙しくなる農繁期に当たります。つまり、天武天皇は、この時期の肉食を抑えることで、農作業を順調に進め、農業を中心とした国家体制をしっかりと築き上げようとしたのです。仏教の「殺生禁断」という思想をうまく利用し、弥生時代から受け継がれてきた日本の農耕の歴史を守ったわけですね。
さらに、天武天皇の「肉食禁止令」には、もう一つの思惑があったと考えられています。それは「人間にとって役に立つ動物を食べるのは非効率だ」という実用的な考えです。
当時の牛は田畑を耕す耕運機として、馬は軍用や通信の手段として、犬は番犬や鷹狩(たか がり)のパートナーとして、それぞれ人々の生活に欠かせない存在でした。貴重な労働力としての動物を食料として消費することは、当時の社会にとって大きな損失だと、天武天皇は考えたのです。
このように、肉食禁止令の背景には、単なる仏教の教えだけでなく、国家運営における現実的な判断も深く関わっていました。
そして、この肉食禁止令によって、「牛肉を食べること」は日本では長い間タブー視されてきました。その期間、なんと1200年! お肉が当たり前のように食卓に並ぶ現代の私たちには、考えられないような歴史ですよね。明治時代初期の「文明開化」が訪れるまで、庶民にとって肉食の扉は固く閉ざされることになってしまいました。
しかし、禁じられたとはいえ、完全に牛肉が姿を消したわけではありません。歴史の裏側では、一部の地域や特定の階級の人々の間で、こっそりと肉が食べられていたようです。まあ、牛肉は美味しいですから、仕方ないですね。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら