
心の拠り所としての「ノスタルジー」
何を隠そう、私は「ノスタルジー」が大好きである(本書ではノスタルジアと記載されるが同じ意味)。
ノスタルジーをとある辞書で調べると、「『郷愁』や『懐古』『追憶』といった、過ぎ去ってしまい戻ることのできない時代や時間を懐かしむ気持ちのことを意味する表現」と出てくる。今はなきものを懐かしむ、あの感情のことだ。
また私は「せつなさ」にも近しいものを感じている。故渋谷陽一氏によるとサザンオールスターズは「せつなさの日本基準」なのだというが、何となく分かる気がする。
過ぎ去ってしまい、すでにそこにはないのだが、自分の心の奥のどこかには確かに残っている。そのような懐かしく、安心する気持ちを思い起こさせてくれるもの。それが私にとってのノスタルジーなのだ。
このようなノスタルジーを感じるもの、こと、場所、時間だけを求めて生きているようなところが、私にはある。
良い社会をつくりたいと考えていても、どうしても目は過去の方を向いている。私が山村に越した理由もここにあるのだと思う。
都市での生活があまりに経済原理に支配され過ぎていて、お金があれば何でも買えるという自由がある一方で、病気をしたり体調を崩したり、事故に遭ったり不測の事態に陥ったりして、そこから溢れてしまうと一転してその自由は失われてしまう。
なぜこのような社会が成立してしまったのだろう。その謎を解くために、都市が成立する以前の状態を知りたい。そのような動機から山村に越してきたとも言える。
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