なぜ「寅さん」は新幹線に乗らないのか 「雑談」が許されない「感情を抑え込む社会」と「コンプライアンス」の正体

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私が大好きな映画『男はつらいよ』は1969年に第1作が公開された。

当時の日本は高度経済成長のただ中にあり、各地の風景や伝統芸能が急速に姿を消しつつあった。1970年に始まった国鉄の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」と時を同じくしてシリーズが上映され、日本各地を旅する寅さんの姿とともに消えゆく「日本的風景」を映し出した。

私自身も『男はつらいよ』を今では目にすることができない景色や文化を記録した「記録映画」として鑑賞している側面がある。

主人公の車寅次郎は新幹線に乗らず、鈍行列車やバス、あるいは徒歩で旅を続ける。もちろん当時すでに新幹線は運行していたが、寅さんはそれを利用しない。高度経済成長とともに「一億総中流」といわれる社会が形成されるなかで、「フーテン」と呼ばれる存在は居場所を失いつつあった。

したがって『男はつらいよ』は失われるものを背負った「不在の塊」としての映画であり、同時に強烈なノスタルジーの権化であったといえる。

山田洋次監督は現代社会ではすでに消え去った人情や風景がもしかするとまだ残っているのではないかという思いから、物語の舞台に葛飾区柴又という「周縁の地」を選んだのであった。

コロナ禍が決定打となった「雑談」の消失

では現代において「不在」と感じられるものは何だろうか。私にとってそれは「雑談」である。

2000年代以降、パソコンの普及をはじめとする業務の効率化が進んだ。効率化とは合理化であり、合理化とは「関係のあることだけを行う」ということである。

その結果、会社という場では「関係のあること」だけが残され、「関係のないこと」は切り捨てられていった。

かつては同僚どうしの何気ない会話が職場に流れていたが、それが次第に減り、代わりにメールやチャットが主流となった。

さらに2020年のコロナ禍はこの流れを決定的にした。通勤という不快な習慣が消え、在宅で効率的に仕事ができるようになった一方で、仕事に直接関係のない雑談は職場から完全に姿を消したのである。

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