本来、雑談は業務に無関係に見えながら人びとが感情を安心して表すための回路であった。たわいない会話を通じて人は怒りや不満を和らげ、うれしさや驚きを共有し、互いの関係を整えてきたのである。
その場が不要なものとされ失われていくのと同時に、現代社会は「感情を抑えること」が当然視されるようになっていった気がしてならない。理性によって自分を制御する人間こそ「正しい大人」であり、「正しい社会人」であるとされる風潮が強まったのだ。
人はこの風潮のことを「コンプライアンス」と呼んでいるのではないだろうか。
寅さんから学ぶ「感情の未来」
だが人間は生き物であり、感情を完全に抑え込むことはできない。
いくら「正しい大人」であると自認しても、その抑圧の歪みは必ずどこかに現れる。家庭では弱い立場の家族に向かうかもしれないし、無意識のうちに気を許した隣人にぶつけてしまうかもしれない。
社会全体で見れば、普段は言えない差別的な言葉や侮蔑的な感情を代弁してくれる存在に惹かれてしまうことも大いにあり得る。
要するに、現代社会が直面している課題の一つは「感情をいかに健全に取り扱うか」という点にあり、これは本書にも底流する関心事だと思う。
その視点で『男はつらいよ』を観直すと、寅さんは実に感情豊かな人物である。怒り、不貞腐れ、喜び、そして背中で泣く姿。彼は失われた「感情」をむき出しにしながら生きている。
したがって『男はつらいよ』は「ノスタルジーの塊」であると同時に、未来へのヒントを含んでいるともいえる。
好き嫌いといった感情を安心して表し合える場や関係性、すなわち雑談のような余白こそ現代において必要とされているし、それこそが感情の暴走を食い止める緩衝材になるのではないだろうか。
社会から感情を放逐しないこと。それが「男はつらいよ」と本書が発するメッセージだと思う。
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