「キハ181系」急勾配に挑んだ特急型気動車の記憶 「しなの」「つばさ」から山陰・四国の列車まで
ちなみに、キハ181系を撮るときにいつも考えていたのは、「キハ82系との違いをどう表現するか」だ。一見すると似ているだけに、ロングショットで撮ると角ばったヘッドライト周りのデザインなどキハ181系の特徴がわからない。そんなこともあり、キハ181系はアップの写真が多めだ。


キハ181系の「晴れ舞台」
筆者がキハ181系で一番の晴れ舞台だったと思っているのは、1988年に瀬戸大橋が開業する直前の試運転・試乗列車だ。
取材陣を乗せて開業前の瀬戸大橋を渡ったのはJR四国塗装になったキハ181系だった。列車は橋の真ん中にさしかかったところで停車し、そこでサプライズとして線路上に降りて撮影できる機会が設けられた。瀬戸大橋の上でとらえたキハ181系の姿は、橋を描いた試運転時の特別仕様のヘッドマークとともに強く印象に残っている。

キハ181系はJR化後も活躍を続けたものの、やはり全盛期は国鉄時代だったであろう。JR四国では後継の2000系登場や電化で急速に姿を消し、JR西日本でも山陰本線の電化進展などによって活躍の場を狭め、2010年11月に最後まで残った「はまかぜ」での定期運用を終えた。

大出力のエンジンを武器に山岳路線で力を発揮したキハ181系だったが、とくに初期は故障が頻発するなどのトラブルも多く、誰もが認める「名車」だったとは言いにくいだろう。
だが、豪快なエンジン音を響かせながら屋根を真っ黒にして働き続けたその姿はいかつい外観とともに、男性的な迫力を感じさせられる車両だったのである。

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