「キハ181系」急勾配に挑んだ特急型気動車の記憶 「しなの」「つばさ」から山陰・四国の列車まで
筆者が初めてキハ181系に接したのはプロの写真家になったばかりの1971年、米坂線での蒸気機関車撮影を終えて米沢から上野へ帰る際に乗った特急「つばさ」だった。

現在は山形新幹線になった「つばさ」だが、当時はまだ奥羽本線に非電化区間があったため気動車での運転だった。それまで気動車特急はキハ82系に乗ったことがあったが、キハ181系の「つばさ」はそれとはまったく違うすさまじいエンジン音を立てて勾配区間に挑んだ。車体がブルンブルンと震えるようなパワフルな走りっぷりは、極端にいえばバスとダンプカーくらいの違いを感じた。
電化間近の山岳路線を疾走
平坦な関東平野に入ると軽快に東北本線を飛ばすが、ノッチが入るとエンジンが一気にグワーッとうなりだす。キハ82系ももちろんエンジンのうなりはあったが、キハ181系は乗っているだけでそのパワーが伝わってくる走りだった。一気にこの特急気動車に魅了された。

だが、実はその当時、キハ181系の撮影は蒸気機関車の「ついで」であることが多かった。蒸機の現役末期でその撮影に追われていたからだが、これは裏を返せば、キハ181系が真っ先に投入されたのが山岳地帯の非電化幹線で、最末期の蒸機が迫力ある活躍を見せていた路線だったからでもある。
その後、筆者は1970年代後半から『特急・急行大百科』をはじめとする『ケイブンシャの大百科』の取材で全国の特急列車を撮影することになり、キハ181系を目的として撮影することも増えた。だが、やはり筆者にとって、キハ181系の記憶は蒸機撮影の思い出とともにあるといっていい。
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