様変わりした「渋谷の駅と街」昭和・平成の記憶 地上の東横線、ビルから飛び出すオレンジの銀座線

東京で近年大きく姿を変えた街といえば、その代表は渋谷だろう。東急東横線の駅が地下化され、JR埼京線のホームが山手線と並ぶ位置に移転、銀座線の駅は明治通りをまたぐ位置に移動――と、鉄道と駅だけを見てもその変化は激しい。
筆者は1978年から2014年まで30年以上渋谷に在住し、そのうち約20年は渋谷駅南口近くの桜丘町、その後は京王井の頭線の神泉駅近くで暮らした。それだけに近年の変化には驚き、戸惑うことも多い。今回は、懐かしの渋谷の街と駅、そして鉄道について、かつての「地元住民」の視点を交えて語ってみたい。
昭和50年代の「渋谷の鉄道」
1978年は、地下鉄半蔵門線の最初の区間である渋谷―青山一丁目間が開業した年である。筆者はこの年に、それまで住んでいた祐天寺(東急東横線)から渋谷駅南口に近い桜丘のマンションに引っ越した。
今では街の一角すべてが巨大な複合施設ビル「渋谷サクラステージ」となって大変貌したが、かつての桜丘町は、大河のような国道246号によって駅前とは隔てられ、まったく雰囲気の違う庶民的な街だった。今では信じられないかもしれないが、魚屋や八百屋、豆腐屋、街中華に大衆食堂と何でも揃い、下町の風情があった。
渋谷駅を通る鉄道のその当時の様子を振り返ってみよう。
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