様変わりした「渋谷の駅と街」昭和・平成の記憶 地上の東横線、ビルから飛び出すオレンジの銀座線
その山手線は、当時はウグイス色の103系が活躍しており、まだ非冷房車も多かった。朝ラッシュ時の渋谷―新宿間はまさに地獄の混雑だった。今も山手線のホームは混み合っているが、当時は今のような整列乗車はまだ浸透しておらずもみくちゃだったという印象が残っている。

今では信じられないが、その頃渋谷駅の南口通路には「日本食堂」があった。カウンターとテーブル4つ程度の狭い店だったが、ちょっとした食事の際にはよく利用した記憶がある。国鉄末期の1985年には駅が開業100周年を迎え、筆者は国鉄東京西鉄道管理局長から依頼を受けて100周年記念誌の撮影を担当した。当時の管理局長は、のちにJR西日本の社長となった井手正敬氏だった。

「地元」ならではの撮影地
山手線にも筆者の好きな撮影スポットがあった。都バスの渋谷営業所の近くにある陸橋付近で、地上を走っていた東急東横線がオーバークロスする地点のあたりだ。東横線と山手線がクロスする場面もよかったが、山手貨物線を走る列車を捉えるにもよかった。
1988年に「オリエント急行」が来日した際のカットもある。実は、筆者は乗車取材をしていたので妻にこの場所で「写ルンです」で走行シーンを撮影してもらったものだ。初電より早い早朝の貨物列車を撮影できるのも地元ならではの強みだった。

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