様変わりした「渋谷の駅と街」昭和・平成の記憶 地上の東横線、ビルから飛び出すオレンジの銀座線
東横線は、1978年当時は東急初の20m級ステンレスだった8000系が新鋭で、「青ガエル」こと5000系も活躍していた。後にハチ公前広場に展示されることになった電車だが、2020年に撤去され、現在は秋田に移設されている。山手線をまたいで高架で渋谷駅へ入線する東横線は渋谷の鉄道風景の1つだった。


渋谷の街が生んだ人とのつながり
桜丘町の家はやや古いマンションの8階で仕事場を兼ねており、まだ渋谷には高層ビルが少なかったこともあり羽田空港に着陸する飛行機が見えた。当時の桜丘町は下町の雰囲気でやや猥雑な雰囲気もあり騒がしいこともあった。「ロス疑惑」三浦和義氏の会社がすぐ近くで、逮捕の際は窓から報道陣のフラッシュが見え、知人の新聞記者や雑誌記者たちの中継基地のようになったこともあった。

筆者はここで『ケイブンシャの大百科』の執筆をはじめさまざまな仕事に取り組んだが、仕事の幅が広がったのは当時の渋谷、そして桜丘町という場所が生んだ縁も大きかった。交通が便利で人が集まるのに都合がよく、赤ちょうちんや居酒屋など、酒を交えての打ち合わせの場にも事欠かなかった。
中でも思い出深いのは、マンションのすぐ近くにあったパブレストランである。知ったきっかけは、筆者が監修した映画『ヨーロッパ特急』(1984年東宝・大原豊監督・武田鉄矢主演)だった。雑誌の企画で武田鉄矢氏と対談した際に教えてもらった店で、ママの本業が芸能関係の大物だったということもあり芸能人も多かったが気さくな雰囲気の店で、筆者はここを行きつけにしていた。
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