様変わりした「渋谷の駅と街」昭和・平成の記憶 地上の東横線、ビルから飛び出すオレンジの銀座線

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鉄道作家の宮脇俊三さんや檀上完爾さん、脚本家で鉄道に造詣の深かった関沢新一さんなど、多くの人々との交流が生まれたのもここだった。1988年に「オリエント急行」が来日した際はクルーの歓迎会を開いたこともある。近くにはかつて存在した鉄道雑誌『レールガイ』の編集部もあり、筆者は巻頭特集の写真を何度も撮影した。街を通じてさまざまな縁があった。

そのようなにぎやかな街が変化し始めたのは1980年代後半のバブル経済以降だった。それまで庶民の街だった桜丘町にも「地上げ」の波が押し寄せ、古くからの住民は相次いで立ち退いていった。小学校も1クラスのみとなり、やがて廃校になった。世の中が好景気に沸く中で、建物だけでなく文化や人のつながりがじわじわと破壊されていくのを感じていた。

渋谷駅南口 アパート 昭和
かつて渋谷駅南口近くにあったアパート「日本会館」。映画にも登場した(撮影:南正時)

住民から見た再開発は…

当時の近隣の人々との交流は今も続いているが、街はさらに大変貌を遂げてかつての面影はほとんどなくなった。どの出口を出ればどこに行けるといった頭の中に入っている地図がもはや通用せず、いまだに面食らってしまう。

東急5000 渋谷 青ガエル ハチ公前
2020年までハチ公前広場にあった東急5000系電車「青ガエル」の車体(撮影:南正時)
【写真をもっと見る】懐かしの銀座線や山手線、地上を走る東横線から今では大変貌を遂げた桜丘町のかつての風景、そして最近の再開発工事の様子まで、昭和50年代から現在まで変わり続けた「渋谷」の姿

渋谷の大規模再開発は、商業の観点や駅施設の改修といった観点から賛否が語られることが多い。実際に、さまざまな人が集まる街にしようと工夫していることはわかる。だが、かつての住民から見ると、再開発で最新のビル群に街が生まれ変わっていく中で、住んでいる人々が置いてきぼりを食らってしまったようにも感じられるのである。

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南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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