「キハ181系」急勾配に挑んだ特急型気動車の記憶 「しなの」「つばさ」から山陰・四国の列車まで

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美しい日本海の海岸線に沿って走るキハ181系の姿は今も気に入っている1枚だ。撮影時は使うあてのなかったこの写真は、数年後に時刻表の表紙を飾ることになった。

だが、これらの列車でのキハ181系の活躍は決して長くなかった。いずれも地方都市を結ぶ重要な幹線であり、電化が急ピッチで進められていたからである。「しなの」は1975年3月に全列車が振り子式の381系電車に交代し、同年11月には「つばさ」も電化完成により電車化。そして1982年には伯備線電化により「やくも」も381系に代わった。

キハ181 やくも 食堂車
キハ181系時代の「やくも」は食堂車キサシ180形を連結していた(撮影:南正時)
381系 やくも
キハ181系に代わって「やくも」の顔となった381系電車(撮影:南正時)

山陰や四国での大活躍

後任の電車特急に役割を譲るキハ181系の交代劇は、決して華々しいものではなかった。待望の電化完成や特急の電車化を祝うムードの中で、ひっそりと交代していったという印象が強い。勾配の多い地方幹線のスピードアップのために登場した車両だけに、さらなるスピードアップのための電化によって追われていったのは宿命ともいえよう。

「しなの」や「つばさ」から撤退すると、キハ181系の活躍の舞台は山陰地方や陰陽連絡、四国など西日本の路線となった。

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