いくら生成発展する法則を持っていても、黙っていてもそうなるというわけではない。努力しなければならない部分がある。
すなわち自分の思い通りにいかない、成功しないというのは、自分にとらわれていたり、あるいは私利私欲にとらわれて、なすべきことをしていないからである。自然の理法に従っていないからである。
それではどうすれば、自然の理法に則ることができるのか。松下は、素直な心になることであるという。
仏師で有名な、いまは亡き松久宗琳師がテレビに出たときの話である。インタビューの人が「仏さまを彫る」という言葉を使うと、師は「いや、私は彫っていません」と答えた。インタビューアーの「ええ、そうですか」という怪訝な声に次いで出てきたのは、次のような話であった。
塵あくたを取り払えばいい
「木の中に、仏さまが見えるのです。だから私は、もともと木の中にいらっしゃる仏さまの、その周りの埃を取り払っているだけで、彫っているのではないのです」
その言葉を借りれば、人間というものも、もともとその人生は成功するようになっているにもかかわらず、やはり塵あくたがついている。知恵がつき、社会に出て、大人になればなるほど、塵あくたも増えていく。だから素直な心によってそれを取り払っていけば、自然に成功していくというのが、松下の考えであった。
誰もが世界的企業をつくれるとまでは私も言わないが、しかし、人間は誰でも、その人なりの成功は必ず得られるように生まれついている。それは確かである。
それを、周囲にとらわれたり、時代にとらわれたり、私心にとらわれたりすると、持って生まれた自分の成功を、見つけだせないままに自分の生涯を終えてしまうことになる。
自然の理法というと少し硬くなるが、要するにいい物を生産し、多くの人たちに満足されるような安価で販売すれば、商売は必ず繁盛する。人情の機微に即した商売のやり方をすれば、お客さまが大勢やってきてくれる。ごくごく当たり前のことをきちんと実行すれば、仕事も経営も、必ず成功するようになっている。
「経営というものは、原則として必ず発展し続けるもんやで。よく景気が悪いからどうもうまくいきませんという人がおるけど、本来ならばそういうことはないわけや。自然の理法に従ってやっておれば、決して商売が停滞するというようなことはない。むしろ、不景気のほうが発展する。経営というものは、だからどこまでもどこまでも発展し続けることができるんや」
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