『ちはやふる -めぐり-』はなぜ"恋愛を控えた"のか? 贅沢品としての青春を誠実に描いた、静かな名作の功績を考える

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映画『サヨナラまでの30分』や『明け方の若者たち』は、恋愛を描きながらも、その裏にある“自己との対話”や“夢と現実のギャップ”を主題としている。『君は放課後インソムニア』は、不眠症に悩む高校生ふたりが静かに心を通わせる物語だ。恋愛感情はあっても、決してそれが主目的ではなく、「夜をともに越えること」「孤独を共有すること」の方が中心に描かれている。

近年の学園ものや青春ドラマが、必ずしも“恋愛=青春の代名詞”ではないという方向に舵を切っているのは明らかだろう。

青春といえば恋愛ありきの時代からの変化。「ちはやふる」は、シリーズを通してそれを顕著に表しているのではないだろうか?

競技かるたを通して表現する多様な青春像

そして、視点の変化を表しているのはドラマ版だけではない。

『ちはやふる』原作の続編『ちはやふる plus きみがため』では、そもそも部活動に全身全霊を懸けられない学生たちの姿が描かれる。

コミックス書影
妹の面倒を見る主人公・凛月(りつ)。かるたの練習にも余念はないが…(出所:講談社公式サイト)

千早もめぐるも、部活に打ち込むことに大きな障壁は描かれなかった。ドラマ序盤、めぐると家族のあいだに隔たりがあったものの、のちに和解している。

反面、『ちはやふる plus きみがため』に登場するのは、ヤングケアラーや家庭環境に恵まれない高校生たちだ。作者・末次由紀氏はこう語る。

「もっと大変なこと、例えばバイトをしないといけないとか、親が協力的じゃないとか、そんな状況にある子たちだっているわけです」
「そういう応援されてない子のことを描きたいと思っています」
(出典:note記事)
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