元イタリアンシェフ「コロナ禍で1500万借金」から《万博出店》へ。「家賃2万円」おんぼろとんかつ店が月商2700万円に急成長した「振り幅戦略」

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中津の店の扉
中津の店の扉には、トレードマークの豚のイラストが入っていた(写真提供:とんかつ乃ぐち)

10年計画で「とんかつ道」を極める

実は閉店は、当初から計画していたことだった。「中津で3年、万博で半年、東京で2年、ロンドンで3年、大阪に戻って再スタート」という「10カ年計画」を描いていたのだ。

「中津でとんかつブームに火をつけてから、大阪・関西万博に出て、とんかつ激戦地・東京に飛び込み、その後世界で、『とんかつは革新的な料理だ』と認めてもらう。それが僕の『とんかつ道』だと考えていました」

計画に万博が入っているのには、野口さんが以前から「大の万博好き」だったことが関係している。

今まで訪れた中で、最も衝撃を受けたのがミラノ万博だったという。大行列ができているパビリオンのレストランで、シェフがニョッキを当然のように一から手作りしている姿を見たからだ。

「『こんなに並んでるのに手作りしている料理人がかっこいい。料理も1つの文化で、万博は文化祭なんだから、その姿勢は正しいことなんだ』と感動しました」

ところが日本館を訪れると、日本食ではなく日本酒が主役だった。

「いや日本は料理やろ、と拍子抜けしました。だから大阪で開催するときは、天下の台所で、料理人たちが安く、おいしく、面白く振る舞う食文化を表現しなければいけない。そのときは絶対自分も出ると誓ったんです」

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