【夏の海に大変化】"海の家のクラブ化"による騒音・ゴミ散乱時代から一転、"子どもが集うビーチ"へ 現在は「外国人トラブル」や「盗撮」に要注意
片瀬西浜・鵠沼海水浴場が開かれたのは、今から75年前の1950年。朝鮮戦争が開戦した年だった。栗原さんの祖父がこの地を訪れ、美しい海と豊かな自然に囲まれた兵庫県の須磨海岸に似ていることに着想を得て、海水浴場にすることを思いついたのだという。
「この海水浴場は漁業権の一環としてスタートしたんです。冷凍や冷蔵設備がなかった当時、夏場は魚を取っても保存ができなかったので、商売にならなかった。そこで組合を作り、ボートをはじめ海の遊具を海水浴客に貸し出せるようにしたんです」(栗原さん、以下同)
海の家は、付近に軒を連ねていた旅館が夏の施設として始めたところ、出店を希望する人が続出。当初、片瀬東浜から始まったこの試みは、東浜から西浜へと広がりを見せ、わずか8軒から始まった海の家は現在27軒まで増え、海岸には欠かせない施設となっている。

時代が追い風、人気の海水浴場になるも……
折からの海水浴ブームに加えて、朝鮮戦争の特需で戦後の経済疲弊から立ち直ったという時代背景もあり、人々が海水浴場に注目するようになる。ここから高度経済成長期の波に乗り、夏の片瀬西浜・鵠沼海水浴場はエンタメの発信地としても機能するようになった。
「毎年、芸能事務所の新人歌手が来ては、ステージで歌っていましたね。〈バックミラーに 映る江ノ島さ〉という歌詞が印象的な『ゆ・れ・て湘南』を歌った石川秀美さんも新人のころに来ていましたよ」
さらに、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(1985~1996年放送)が毎年、タレントショップ「江ノ島元気が出るハウス」を夏季限定で開設。芸能人も訪れ、多くのイベントを開催したことで、江の島は全国的に名の知れる海水浴場となった。
しかし、知名度が上がったことで、片瀬西浜・鵠沼海水浴場は思わぬ代償を強いられることになる。
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