25歳で実家が火事、29歳で重度のうつ病→「どん底の男」が《1日1万個のコッペパン》を焼く「人気パン屋のオヤジ」になるまで。"壮絶な半生"に迫る

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入院は、2カ月に及んだ。退院したということは、もう大丈夫だろうと思っていた。しかし、それは泥沼でもがき、這いまわるような毎日の始まりにすぎなかった。

ソーシャルワーカーと相談し、必死に社会復帰の道を探るも、脳みそと身体が言うことを聞かない。丸の内を歩いていて、突然、ひっくり返ったり、立っていられなくなり、目黒川沿いをほふく前進で帰宅したこともある。

退院してからしばらくして、会社に出資してくれていた恩人から呼び出されてオフィスに向かうと、そこには両親もいた。てっきり「これからまたがんばれ」と激励されると思っていた吉田さんは、恩人の言葉に呆然となる。

「スタッフに会社を任せて、お前はしっかりリハビリしろ」

「なんで自分が作った会社を辞めなきゃいけないんですか!」と泣きながら抵抗する吉田さんを、恩人と両親は4時間かけて説得。体調を考えたら恩人の提案を受け入れざるをえず、吉田さんは無職になった。

命を救ってくれた“小さな巨人”

「この頃のことは、あまり思い出すこともできないぐらいです」と吉田さん。思い通りにならない自分がもどかしく、悔しく、情けなく、「今、山手通りに飛び出せば楽になる」と、何度考えたかわからない。思いとどまったのは、支えてくれた女性(のちに結婚し、妻になるしのぶさん)がいたからだ。

「彼女は、文化服装学院を卒業して、新卒でうちの会社に入ったんです。それからしばらくして付き合うようになって、僕が入院するときも付き添ってくれたし、退院してからも、まともに生活できない僕を支えてくれました。一番の味方であり、命の恩人です」

吉田知史さんとしのぶさん(筆者撮影)

しのぶさんのサポートを受けながら、無理をしないよう少しずつ、少しずつ治療に努め、うつ病から脱したのは入院から4年後、33歳のとき。ようやく前向きな気持ちになり、簡単なアルバイトを始められるようになった。

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