25歳で実家が火事、29歳で重度のうつ病→「どん底の男」が《1日1万個のコッペパン》を焼く「人気パン屋のオヤジ」になるまで。"壮絶な半生"に迫る
「小学1年生の頃には、親が買ってきた服を着ないで、自分で自分の服を選んでいました。正月にお年玉をもらったら、それを握りしめて、全額、洋服に使っていましたね」

自然の成り行きで、少年が抱いた夢はファッションデザイナー。当時の小岩は「畑と田んぼとヤンキー」の世界で、吉田さんの周囲も荒れていた。その影響を少なからず受けながらも、中学、高校と夢は変わらず、恵比寿にあるバンタンデザイン研究所に進学する。
ファッション好きのとがった仲間たちとともに語り合い、学び、遊ぶ。その刺激的な日々のなかで、ファッション業界のカリスマ、ジャン=ポール・ゴルチエから「日本であなたに会えてよかった」と声をかけられたという逸話を持つ、「伝説的な先輩」と親しくなる。
自主団体でイベントや合同展示会などを企画していたその先輩から、「一緒にやろう」と誘われて、最終学年の3年生になる前に退学。その団体に携わりながら、23歳のとき、実家の一角に小さな服屋をオープンした。ロンドンで買い付けた洋服を自分の店で売る商売は、純粋に「楽しかった」と振り返る。
ところが1997年12月18日、25歳のときに実家が火事で全焼。父親が仕事で使っていた工場も、吉田さんのお店もすべて灰になった。これを機に父親は印刷会社を辞め、母親と一緒にハウスクリーニングの仕事を始める。一方の吉田さんは、お店の常連で、「一緒に仕事がしたい」と言っていた若者と2人、東京とロンドンでのコネクションを生かして会社を立ち上げた。
「海外のブランドを日本で、日本のブランドを海外で紹介したりするアタッシェ・ド・プレスの仕事です。最初の頃はお金もなかったので、自分のアパートと渋谷の東急ハンズの前にあるルノアールの会議室を使って、英会話教室もしていました(笑)」
泥沼を這いまわるような日々の始まり
新事業は徐々に軌道に乗り、ロンドンに子会社を作って、日本人のスタッフを雇うまでになった。どんどん多忙になったうえ、時差の都合上、ロンドンの時間に合わせて仕事をすることも増え、生活が不規則になった。
気づけば、体調がおかしくなっていた。まず、眠れなくなった。次に、中目黒の自宅から渋谷のオフィスに通う際に使っていた自転車に乗れなくなった。自分は普通にしているつもりなのに、「片目を瞑っている」と指摘された。初めまして、と握手をした瞬間に、失禁してしまったこともある。
起業から4年経った29歳のとき、ついに誰から見ても様子がおかしくなり、家族から説得されて受診したのは、精神科。医師から「これは危ない! あなたは重度のうつ病です」と診断され、即日入院することになった。
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