東大志望だらけの日比谷高校で抱いた疎外感。エリートを拒否した彼が麻雀で起業するまで

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そうした池谷さんの人生を変えたのが、数学の授業で教鞭を執っていた田島稔先生でした。

「数学より面白い」心理学

「日比谷高校の先生たちもとても優秀でしたが、さらに聡明だと感じたのが田島先生です。数学の難問をスマートに解く様子、理路整然とした語り口に惚れました。私は、勉強は嫌いでしたが、論理的な思考を組み立てるのは好きでしたので。その田島先生が『数学より面白いよ』と授業中にさりげなく薦めてくださったのが心理学や哲学の本でした。図書館で探して読んでみると、私の関心事にぴったりハマりました。心理学部なら統計学を使うし、受験で数学が使えるし、と考えて1浪終了間際にいきなり文系へ転じました」

通学圏内で心理学部がある大学を探した池谷さんは、中央大学、日本大学、東洋大学を受験しますが、長年の勉強不足がたたって全落ちし、2浪目に突入します。

2浪目も代々木ゼミナールを選んだ池谷さんは、文章を書くのが好きだったこともあり、小論文のある大学に絞ろうと考えます。

「子供の頃から図書室・図書館通いの、いわゆる本の虫でした。蓄積してきた語学力を活かせば、小論文ならば勉強しないでも通用するはず、という浅はかな作戦です(笑)。そこで、数学と英語と小論文の3科目で勝負できる大学を探しました。予備校は小論文の授業が面白かったのでかろうじて通っていましたが、勉強自体は1浪目よりもさらに遠ざかっていました」

『ものぐさ精神分析』で有名な心理学者の岸田秀さんが在籍していた和光大学へ行ったら「岸田先生と議論できるかな」と想像しつつ、なんとか受験勉強を続けたそうです。

2浪目も偏差値は上がらなかったものの、明治大学、和光大学、文教大学を受験した池谷さんは、唯一、文教大学心理学部に合格し、受験生活がついに終わりました。

文教大学心理学部に進んだ池谷さんの学習意欲は高く、図書館に通って専門書を読み漁り、教授らに議論を投げかけ、心理を探求する日々を送ったそうです。

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