「親は高学歴を期待している様子でしたが、私はこんな自分が大学に行くのはお金のムダだと思っていました。まともに勉強しないまま、なんとなく受験して失敗したのは当然でした。当時の自分は将来の展望が何もない、自分だけの趣味の世界に逃げ込んだ、中2病のような感じでした」
現役時は武蔵工業大学(現:東京都市大学)など、理系の大学をいくつか受験するも失敗します。
予備校通いが始まる
池谷さんに浪人を決断した理由を聞いてみると「就職するか進学するかと言われたとき、就職がピンとこなかったから」と答えてくれました。
「高校入学時の偏差値は70程度あったはずですが、大学受験では偏差値60台前半の大学に入れるかどうか、という状態でした。第2次ベビーブーム世代の私たちの頃は大学の定員が足りず、浪人生が溢れていたので、私も自然な流れで予備校に進みました。代々木ゼミナール本校の国立理系コースに通い始めましたが、それまでと同様に勉強には関心が向かず、趣味が最優先。この先の人生がどうなるのか、不安さえも感じない、ゆるくて鈍い感覚の中で漂っていました」
しかし、予備校の人気講師のキャラクターに興味を引かれて、引きこもり生活にはならず、なんとか予備校に通い続けていたそうです。
「当時は受験戦争が最も熱かった頃で、予備校の競争、人気講師の競争が激化していました。私は英語の原秀行先生による、エンタメ性の高い講義にハマりました。その人気は凄まじく、最前列を取るために廊下で数時間待ちは当たり前。新幹線で静岡から通うファンもいて、終電間際まで授業を延長することもしばしばありました。巨大な教室はまるでライブハウスみたいな熱気に包まれていました」
当時の予備校の魅力を楽しそうに語る池谷さん。
しかし、勉強はしなかったために、成績はまったく上がりませんでした。理系の学部に興味もなく、当時はただ楽しいライブに通っている感覚だったそうです。
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