池谷さんは1972年12月、東京都品川区に、共働きの両親のもとに生まれました。小学校では成績は上々で、特に勉強で苦労したことはなかったといいます。
「勉強への興味は皆無、集団の中では引っ込み思案、とにかく目立たないタイプでした。一方で、授業の内容や先生の教育方針に違和感を覚えると、授業後に先生に猛アタックして論破しようとする、理屈にうるさい面がありました」
地元の公立中学校に進学し、最初の中間テストでは学年280人くらいの中で3位。ここで初めて、本人も親も「この子は勉強ができるらしい」と気づいたそうです。
やがて進学塾に通うようになった池谷さんは、親の強い薦めで、地元で一番の日比谷高等学校を第1志望に設定します。ゲームやアニメに没頭していて、受験勉強をした記憶はほとんどないそうですが、無事にギリギリで合格しました。
ここは東大に行く人たちが居るべき場所
全国でも有数の名門公立進学校、日比谷高等学校に進学した池谷さん。しかし、高校ではいきなり赤点、成績は最下層だったと当時を振り返ります。
「クラスメイトは、中学校時代は『成績オール5+生徒会経験者!』みたいな優等生の群れでした。彼らがストイックに学業に専念する様子を見て、自分は同じ道を辿って上り詰めることは不可能だと諦観しました」
クラスメイトの父親や祖父、そして教師にも、「日比谷高校→東大進学コース」のエリートが多く、「ここは東大に行く人たちが居るべき場所で、自分の居場所はない」と感じたそうです。
「授業をサボって神保町で古書を買い漁ったり、渋谷でマイナーな洋楽レコードを探したりしていました。模範生から外れた自分なりの居場所を探して、趣味人を気取っていたのかもしれません」
池谷さんは当時を「疎外感からの反発で、エリートの生き方を嫌悪しつつ、アイデンティティを見失い、もがいていた」と振り返ります。
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