今こそ学ぶべき西郷隆盛の合従連衡論--『日本近代史』を書いた坂野潤治氏(歴史学者、東京大学名誉教授)に聞く
──「運用」の時代(第4章、1880~93)のヒーローは、無名に近い都築馨六ですか。
ときの内務官僚だ。彼の名を聞くと、「超然主義」で胸を張る官僚の姿が浮かび上がってくる。有名人でいえば、井上毅でも松方デフレの松方正義でもいいかもしれない。もはやカネがなく、大蔵省が財政を握れば殖産興業から退き、官営企業をぜんぶ払い下げる方向に行く。
憲法ができ、法律がそろえば、在野の知識人は大していらない。自由民権運動だ、国会開設だ、憲法草案だと熱く運動する時期は過ぎ、福沢諭吉でも在野ではわからないことが多い官僚の時代になる。こういう時代には世論に従っていては何もできないから、超然主義となる。トップダウンでやっていくべきだと。実際、官僚は光り輝く。
──農村地主の時代でもあったようですね。
そちらは議会。官僚、つまり行政府と立法府が分かれてけんかしながら落としどころを見つける。官僚が専門知識に従って国家のデザインを作り、無知で不勉強な代議士、新聞記者、有権者どもよ、俺に従え、と肩で風を切った。
──そして、普通選挙の第5章「再編」の時代(1894~1924)へ移行します。
第5章の主人公は吉野作造。民本主義は突き詰めれば普通選挙、それ以前は富裕男子だけ300万人、普通選挙になると有権者は1200万人を数える。留学から帰ってきた14年に普通選挙を唱え、同時に議院内閣制、今風にいえば2大政党制を掲げた。その二つがセットにならないと日本は変わらない、と。