「陰湿すぎる」「いじめっ子を思わせる」と大炎上、活動休止…から1年が経過したフワちゃん。「やす子へ公開暴言」から今も復帰叶わぬ背景
わかりやすい例が、「ダウンタウン」松本人志さんや、元「SMAP」中居正広さんのケースだ。
いずれもSNSや公式サイトに本人コメントは載せられたが、松本さんが芸能記者による単独インタビューに応じた以外、自らの発信はほぼない。そして最終的に、中居さんは芸能界引退にまで至っている。
ここで言う「公の場」は、必ずしも会見である必要はない。一方的な謝罪文ではなく、報道陣などの質問に答える形のコミュニケーションであれば、書面でも構わないだろう。つまり、「自らの主張だけを押しつけている」と感じさせるのは悪手だということだ。
「人のウワサは死んでも残る」時代
インターネットの普及で記録性は高まり、検索エンジンの誕生でスキャンダルを想起する機会が増えた。いまや「人のウワサも七十五日」ではなく、「人のウワサは死んでも残る」時代だ。
風化しない世間においては、「疑問を疑問のまま棚上げしている」と感じさせてしまうのは得策ではない。
もしかすると、これは芸能界とSNS世論とのギャップなのかもしれない。かつてのようにテレビの影響力が強ければ、力関係の活用、もしくはメディア側の忖度(そんたく)によって、報道をコントロールすることもできたのかもしれない。ひとたびフェードアウトしてしまえば、“一部週刊誌”が報じ続けたとしても、大勢には影響がない。
しかし現代社会では、そうはいかない。
「あれはどうなったのか」と続報を求める声は絶えず、それに呼応して出される雑誌記事も、ネットニュースとして一気に拡散される。そして、テレビ報道のギャップが広がるにつれ、いわゆる“オールドメディア”への違和感は募っていくのだ。
加えて、正義感の強いネットユーザーは、一度振り上げた拳をなかなか下ろさない。今回のように、ことあるごとに思い出し、情報がアップデートされていないことに対して、いら立ちを強める。
「沈黙は金、雄弁は銀」とはよく言うが、SNS社会においては「沈黙は悪、雄弁は最悪」だ。自己弁護に終始して、ペラペラしゃべるよりはまだマシだが、まったく触れないことにもリスクが存在する。
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