「タワマン住民は、祭があることすら知らない人もいる」 徳川家康が漁師に与えて400年の中央区・佃。“タワマン林立”で旧住民が語る変化

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家康の故郷にちなんで、佃島と名付けられた

家康はこの恩を一生忘れなかった。1603年(慶長八年)に、家康が江戸幕府を開いたとき、佃村の漁師33名を江戸に呼び、石川島に近い島を居住地として与え、故郷の佃村にちなんでここを「佃島」と名付けた。

天安本店
創業天保八年の老舗「天安本店」(筆者撮影)

そこから400年以上の時が流れたが、土地と暮らしの記憶は今も息づいている。その上に重なるようにして、現代の暮らしもまた形を変えながら続いている。縦に伸びる新しい街と、横に広がる地縁。佃地域はその交点にあるように思えた。

【もっと読む】自由が丘と二子玉川のほぼ中間、知る人ぞ知る「渓谷と古墳のある街」の"実態" 最高の住環境なのにタワマンが建つことがない理由 では、世田谷区・等々力を 街に詳しいライターの末並俊司さんが訪問。その奥深い魅力を、豊富な写真とともに詳細に解説している。
末並 俊司 ライター

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すえなみ・しゅんじ / Shunji Suenami

福岡県生まれ。93年日本大学芸術学部を卒業後、テレビ番組制作会社に所属。09年からライターとして活動開始。両親の自宅介護をキッカケに介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)修了。現在、『週刊ポスト』を中心として取材・執筆を行っている。

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