「タワマン住民は、祭があることすら知らない人もいる」 徳川家康が漁師に与えて400年の中央区・佃。“タワマン林立”で旧住民が語る変化

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「おお、なんだ、取材かい、まぁ、ビールでも飲んでいけよ。なにぃ下戸だって? ウソ言ってんじゃねぇぞ」なんて脅かされたけど、すぐに破顔一笑して「んじゃ、麦茶を飲みなさい。暑いからね、水分補給は大切です」と、事務所の冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出してくれた。

恐縮しながら、タワマンの取材で来ていることを伝えると、「なんだと、祭の取材じゃねぇのか」と一喝されたが、またすぐに笑顔になって「なんでも聞きなさい」と、世話人の田村祥二さんが答えてくれた。

「大祭は3年に一度なのですが、それ以外の年は陰祭をやるんですよ。今日はその準備で集まっているんです。もともと佃は漁師の街だから、大漁の年に大祭をやっていたんです。毎年のように大漁が続くこともあれば、そうじゃないこともある。大祭が行われるのは不定期だったわけです。

でもそれは第2次大戦前の話。戦争が終わった翌々年、昭和22年(1947年)に大祭は3年に一度と決められた。他の年は規模を抑えた陰祭が行われるんです」(田村さん)

佃祭
世話人の田村祥二さん(筆者撮影)
佃祭
世話人の千葉修二さん(左)と田中修さん(筆者撮影)
佃祭
世話人の中澤晴生さん(漁師)。「海では魚、陸ではかわい子ちゃんを釣る」と豪語(筆者撮影)

祭に参加するタワマン住民は少数

本連載第1回の「タワマンの聖地『武蔵小杉』激変への旧住民の本音」では、タワマン住民と地域の祭についての話が出た。詳細はそれを読んでいただきたいのだが、佃での事情はどうなのだろう。

「佃祭は地域の祭だけど、誰に来てもらってもいいんですよ。ウェルカムです。ただし、例えば大祭で神輿を担いだり、祭のスタッフとして立ち回ってもらうためには、”佃住吉講”に入ってもらう必要があります」(田村さん)

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