佃祭は地域の氏神である住吉神社の祭だ。祭を取り仕切る氏子組織を”佃住吉講”という。世話人の長老格である千葉修二さんは次のように語る。
「佃島は一部(上町)、二部(下町)、三部(東町)の3つに分かれているんですよ。狭い地域にこの3つがひしめくようにあって、これらが互いに競い合って祭を盛り上げる。それが伝統なんです。現在住吉講に入っている人の数は280人くらいだろうね」(千葉さん)
そのなかにタワマンの住民もいるのだろうか。
「そうねぇ、あんまりいないね。たぶん、15人くらいかな。あ、でもこの人はタワマンの住民だよ。ちょうどいい、タワマン事情を教えてあげなよ」千葉さんはそう言って、向かいに座る横島高之さんを指さした。

当の横島さんは、江戸川区から2001年に佃に移り住み、今は隣の月島地区のタワマンに暮らしている。「私は講に入って日が浅いから、まだまだ新人です」本人はそう言うが、講に加入したのは2008年とのこと。今年で18年目だ。長い住吉講の歴史からすると、これでも新人なのだろう。
「タワマンに住んでいる人と、古くから地元に住んでいる人とでは、この地域の歴史に対する考え方がやっぱり違うのだと思います。佃祭の大祭は、それはもう、準備が大変なんですよ。祭の2カ月前から毎週日曜日は祭関連の仕事で埋まっちゃいます。そうしたスケジュールを取れる人でないと講に参加できないんですよね」(横島さん)
旧住民と新住民の間にある壁
大祭の名物として、「大幟(おおのぼり)」がある。これを掲げる柱や、支える抱木(だき)は、空気に触れて腐らないように、3年の間、堀の底に埋められている。
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