「タワマン住民は、祭があることすら知らない人もいる」 徳川家康が漁師に与えて400年の中央区・佃。“タワマン林立”で旧住民が語る変化

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最もわかりやすいのが、中央区佃1丁目の南側半分だ。陸地の南端は東京都道473号線で切り取られたようになっている。北と東は入堀で区切られており、佃小橋と住吉小橋がかかっている。

西側は隅田川だ。最寄りの東京メトロ月島駅から地上に出て、タワマンの谷間を抜け、佃小橋を渡ると風景が一変する。

江戸時代に創業した佃煮の専門店や、八角箸で知られる漆器店、古くからやっている酒屋などが並ぶ。堀になった水辺には、小ぶりな漁船が係留されている。

佃
佃の再開発されていない地域(筆者撮影)
佃
堀には漁船が係留されている(筆者撮影)

来年は3年に一度の「佃祭の大祭」

来年(2026年)、佃島は祭一色となる。3年に一度の住吉神社祭(通称:佃祭)の大祭が行われるのだ。今年の8月6日と7日には陰祭(かげまつり)が行われた。この地を歩いた日は、陰祭の1週間ほど前だった。

堀端の広場にテントが張ってあり、祭を取り仕切る”世話人”の面々が作業後のミーティングと称する飲み会の最中だった。

ちょっと強面(こわもて)のにいさん方だが、勇気を出して声をかけてみた。

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