「子どもを産むつもりはなかった」女性が出産した理由とその後。2人の女性の経験談から見えてきたこととは。変わりゆく現代の家族像を追った

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一番大変だったのは、出産後の痛みだ。無痛分娩を選んだが、会陰切開した傷の回復に時間がかかり、3カ月間はまともに歩けなかった。その際、あらかじめ母乳とミルクの混合授乳、新生児の頃も夜中は夫がミルクを与えると決めていたことを、心からよかったと思ったそうだ。

夫は「できるだけ自分で子どもの面倒を見たい」と、職場でも例がない1年3カ月も育休を取得した。Tさんの育休は半年間。夫は地域の保育クラブに毎日通ってママ友を作り、しばしば実家で息抜きも楽しみ、職場復帰する際「こんなに楽しい1年はなかった」と述懐していたという。

Tさんが職場復帰後、息子は父によくなついていた。「保育園に入れた直後は、夫を求めて泣きましたし、義母は『母性とか性別に関係ないことがよくわかった』と言っていました」とTさん。

しかし夫が職場に戻ると、どちらへも同じようになつくようになった。夜の会食が多い夫婦は、日常の育児を交代制にしている。保育園へ送った親が迎えに行き、その後寝つくまで世話をする。その日、もう1人は残業も会食もできる。

息子に対しては、「自由に楽しく生きてほしい。寂しがらない程度に介入しすぎないようにしよう」と考えているそうだ。「話し合ってきた蓄積で今があるので、その時間は必要だった。産んだ後悔はしていません」と振り返るTさん。

母親にかかる重圧と負担を解消してこそ

2人の経験談から、大きく分けて2つのことが見えてきた。

1つは、彼女たちが母親に自己犠牲を求めすぎる社会に疑問を持っていたことだ。

私たちの社会は、母親は何でも受け入れる「神聖な存在」と特別視しがちだ。その影響を彼女たちの両親も受けていたことが、結果的に娘との関係を難しくしたように思える。しかし、個人が主体性を持って生きる時代に、もはやその価値観は通用しない。

もう1つは、子育てに何人もが関わる古来の習慣を取り戻した点だ。サラリーマン社会になって母親のワンオペ育児が浸透するまで、子育てには多彩な人が関わってきた。幼い子どもの世話を、本当は1人でできるはずがないのだ。

少子化の大きな要因は、母親頼みの価値観ではないか。

母親が自分自身でいられる時間を確保できれば、仕事や社交もできる。他の家族も子育てに関われば、子どもとの絆も深まり、子どもを通して他の家族とつながれる。そして、子どもも多彩な価値観を知って柔軟に育つだろう。

それでもさらに「女性が子どもを産みたがらない」と責任を"母親予備軍"に押し付け続けるなら、少子化が改善する日は来ないのではないだろうか。

【この連載の記事をあわせて読む↓】

「社会から取り残される焦りが半端なかった」。「母親になって後悔」した彼女のこれまでと現在地

​*「子どもの熱で休む同僚が悪いわけではないが…」"子持ち様"論争はなぜ起きるのか 職場に潜む分断の“根っこ”とは?
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阿古 真理 作家・生活史研究家

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あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

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