この時点ではまだ「家いちば」は姿も形もないのだが、藤木さんは最初に会った時以来、愛子さんにさまざまなアドバイスをしており、そのうちのひとつ、アトリエを使った稼ぎ方が成功した。
それが「場所貸し」、スペースレンタルである。今では当たり前になったビジネスだが、始まったのは10年ほど前から。
「ビジネスとして始まったばかりの頃で、スペースレンタルの会社も目玉商品が欲しかったのでしょう、藤木さんが社長を連れてきたのを覚えています」
撮影会場などとして掲載を始めたところ、アトリエはあっという間に人気物件になった。そのおかげで多少は稼げるようになり、愛子さんも一息つけるようになった。同時に外部にも存在が知られるようになり、雑誌やメディアなどの取材を受けるようにもなった。


どうやって継承していくか
といってもスペース貸しは一時しのぎ。いずれは残すことを前提に購入してくれる継承者を見つけたい。名作住宅の社会的な継承をサポートし続けてきた住宅遺産トラストにも相談するなど少しずつ手は打っては来たものの、なかなか継承先は見つからない。
その間に母の陽子さんが亡くなり、残された愛子さんはアトリエの去就を巡って弟と揉めるようになった。
以前から弟は解体、土地の売却を主張していたが、愛子さん同様、残したいと言い続けていた陽子さんが亡くなったことでして残す理由がなくなったと考えたのだろう。弟の提案を愛子さんは拒否。なんとか残す手はないかと考え続けた。
そのために最後にとった手が、アトリエの裏手にあり、自分たちが住むマンション「カーサ・ビアンカ」を売却、そのお金でアトリエを残そうというもの。我が家を売却したら住む場所がなくなってしまうが、それでもアトリエを残したかった。

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