明治初期の産業革命期に、江東区は工業地帯に姿を変えていく。広い土地と水運があり、政治や経済の中心地に近いことから、繊維工場や製紙工場などが建てられた。
1904(明治37)年には、総武線亀戸駅が開業。明治末期になると、重化学工業が発展していく。第二次世界大戦中には、軍需産業によってさらに成長した。
「カメイドクロック」のある地には、1939(昭和14)年に、腕時計製造会社であったセイコーインスツル(当時・第二精工舎)の本社工場が建てられた。あの、腕時計でお馴染みの「SEIKO」である。
ひとつの選択が亀戸の街の運命を分けた
1993(平成5)年に、セイコーインスツル(当時・セイコー電子工業)の本社が幕張新都心へ移転した。これを機に、この土地の再開発が検討されるようになる。
当初は高層オフィスビルの建設が計画されていたが、バブル崩壊によって再検討を余儀なくされた。その結果、地域住民への恩返しの意味も含めて、時代の変化に対応できる中期利用の商業施設を開発することに決まった。この決定が亀戸の街の運命を分けた。
もしこの地に、長期利用を前提とするオフィスビルが建てられていたら、今の亀戸駅東口の賑わいはなかったかもしれない。働く人が集まってきたとしても、地域に住む人の生活は不便なままだったかもしれない。
ひとつの開発の選択が、いかに街の活気や生活利便性に関わるのか思い知らされる。
こうした経緯により、1997(平成9)年、セイコーインスツルの工場跡地に商業施設「サンストリート亀戸」が誕生した。

開発前は商店街への影響や、交通渋滞が懸念されていた。大型商業施設の開発時には、たびたび問題視される点である。
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