オフィスビルが建っていたら、今の亀戸はなかった…「サンストリート→カメイドクロック」の変遷に見る、愛すべき下町・亀戸の奥深い歴史

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しかし「サンストリート亀戸」は年間1000万人を集客し、それが街へと広がって、亀戸にプラスの効果をもたらした。

「サンストリート亀戸」の文化を引き継ぐ

「サンストリート亀戸」には、敷地中央に広場が設けられた。この広場によって「サンストリート亀戸」は、イベントの聖地やアイドルの聖地として知られるようになる。3人組音楽ユニット「Perfume」がデビュー前にライブを開催していたことは、ファンの間では有名だそう。

「サンストリート亀戸」の運営は、セイコーからの出向者らで構成されたタイムクリエイトが担っていた。各地で商業施設を運営する会社ではなく、この施設のためにつくられた会社が運営していたのだ。だからこそ、「サンストリート亀戸」は地域に密着した施設になったのだろう。地域住民からは「サンスト」と呼ばれ、愛されていた。

しかし、当初から中期の暫定利用として開発されたため、惜しまれつつも2016年3月31日にその幕を閉じることになった。

「サンストリート亀戸」の閉店をきっかけに江東区が、この地を含めた亀戸駅東口の街づくりについて検討し始める。亀戸駅東口には「サンストリート亀戸」以外の大型商業施設がなく、生活利便施設が不足していた。ほかにも、児童数の急増、休憩スペースや広場の不足が課題となっていた。

これらの課題を解決するべく、「亀戸六丁目まちづくり方針」が策定された。この方針に基づいて、野村不動産が「サンストリート亀戸」跡地に、商業施設とマンションを開発することになった。「カメイドクロック」と「プラウドタワー亀戸クロス」である。

建設途中のカメイドクロックとプラウドタワー亀戸クロス
2021年6月、建設途中の「カメイドクロック」と「プラウドタワー亀戸クロス」。この工事現場が、多くの人が集う場所に変わったと思うと感慨深い(筆者撮影)
工事中の仮囲い
仮囲いには、「あのサンストリート亀戸跡地から、新しい時代がはじまります。」と書かれていた。オープン後、まさに新しい時代を刻んでいる(筆者撮影)
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