"濡れ手で粟"のビジネスに味を占めたアメリカでは、いくら高関税をかけても製造業は復活できない
1970年代後半から、80年代にかけて、日本経済の興隆は凄まじいものがあった。日本資本はNYの不動産を買いあさった。ロスの目抜き通りウィルシャーブールバードの著名なビルも日本の秀和などが次々と購入し、アメリカ人からみれば『日本の侵略』と映った。
日本への嫉妬、怨念を抱いたアメリカ人が夥しく、トランプもその1人だった。
「東京がロックフェラーセンターを含む米国の象徴的なブランドや不動産を大量に購入していく様子をトランプ派は前列で見ていた。そのとき、米国の同盟国との関係についてのトランプの世界観が形成され、輸入品に対する関税への執着が始まった」(BBC、25年2月8日)
トランプが1987年に出した著書『交渉の達人』(「The Art of the Deal」)のなかでときの政権の貿易政策を激しく非難している。
「同盟国に公平な負担を課すことで外交政策を扱う」と明言し、日本が米国市場に「ダンピング製品」を輸出して膨大な貿易黒字を形成したのだと総括する。
雌伏30年、かれは大統領に立候補し、奇跡の当選を果たした。
「関税は早急に結果を得ようとする短絡的発想」
レーガン政権は親日的と言われたが、貿易に関しては保護主義的なスーパー301条などが議会で目白押しとなった。
トランプが「台湾の半導体の勃興は米国から技術を盗んだからだ。台湾は(ずる)賢い」などという暴言も、同じ発想である。アメリカの製造業の衰退がなぜおきたかを直視せず、他国の競争を最初から不正とみるのだ。
トランプは80年代の日本の猛威について、「日本と他の国々が何十年も米国を利用し続けてきたからだ。日本は防衛に適切な費用を回避し、(米国が無償で防衛してくれる限り)、前例のない黒字を生み出して、強力で活気のある経済を築いてきた」と主張した。
それゆえ「明白な解決策」とは「課税」することだと短絡的になる。
クライド・プレストウィッツはレーガン政権下で商務長官顧問として日本との交渉を指揮した。彼のベストセラーは『日米逆転』(『TRADING PLACES』)である。
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