《朝ドラ》「ぼくはもう小松記者を好きになっていたのだ」やなせたかしが恋した新聞記者、「ハチキンだけど気遣い」の素顔

やなせと小松記者が働いていた高知新聞社がある高知市の街並み(写真:kazukiatuko/PIXTA)
NHKの連続テレビ小説「あんぱん」が、放送回を重ねるごとに注目を集めているようだ。漫画家のやなせたかしと妻の暢(のぶ)をモデルにした物語である。やなせたかしといえば、子どもたちに人気の「アンパンマン」の作者として知られているが、ブレイクしたのは69歳のとき。30代でマンガ家デビューを果たして以来、長く不遇の時代を経験している。遅咲きだったやなせたかしは、いかにして飛躍したのか。『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。
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実際に「ハチキン」だったやなせたかしの妻
「ハチキン」
土佐の方言で「おてんば娘」のことをいう。朝ドラ「あんぱん」では、「ハチキンのぶ」として何度となく使われているので、視聴者にはすでにお馴染みの方言だろう。実際に、やなせたかしが恋して結婚した女性が「ハチキン」だったようだ。
ドラマでは幼なじみ同士として描かれているが、実際に2人が出会ったのは、勤務先の高知新聞である。どのような出会いだったのか。
戦後すぐの頃、米兵のクズ拾いをしていたやなせだったが、3カ月もすると肉体労働が嫌になり、高知新聞で記者として働くようになる。米兵が捨てた本に載っていた挿絵や漫画を眺めているうちに、物作りへの情熱が湧いてきたというから、何がきっかけになるかわからないものだ(前回記事「【朝ドラ あんぱん】 やなせたかし、敗戦後に「運命を変えた」就職先 ‟宝物”との出会いが生涯の伴侶を引き寄せる」参照)。
高知新聞の記者募集には、多数の応募が寄せられたが、やなせは見事に入社試験に合格。社会部に配属されたのち、『月刊高知』の創刊に携わることになる。
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