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ライフ #東京”老後”移住

「22時間労働」「忙しすぎて子どもが親をわかってない」過酷な《ラーメン店経営20年》を経て54歳で“東京移住”。12年経った現在の正直な感想

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居酒屋運営が忙しすぎて夫妻にとってショックな出来事もあった。

「居酒屋時代は2人とも午前5時頃店を閉めて朝7時に店に行くような生活でした。しばらく子どもの世話ができていなかったため、夫の実家に迎えに行くと子どもが(親とわからず)キョトンとしていたこともありました。

幼稚園に行くようになってからも昼間は幼稚園、夜間は民間保育園に預けるような生活でした。負担はすごく大きかったです」(みきこさん)

怒濤のラーメン店経営へ

上の子が小学校に上がるタイミングで、もう深夜生活はやめようと決意。居酒屋運営をやめ、ひとしさん夫妻は1999年9月から、大手ラーメンチェーンのFCをやることになった。

出店場所は仙台など東北の都市を中心に探し回り、結局盛岡市内に開業した。この店は国道沿いにあって売上は結構立ったが、非常に苦労したという。

「私がほとんど1人でやっていたので、湯切りをすると足がけいれんするような感じがしました。店を午前3時頃に閉め、翌朝の7時には仕込みのために店に行っていました」(ひとしさん)

一方でみきこさんはこう振り返る。

「このとき大変だったのは夫だけで、私は居酒屋の時のほうがつらかったです。ラーメン屋を始めてから私は昼だけ出て、夕方からは子どもと生活できるようになりました」

ラーメン店経営時代のみきこさんと子どもたち(写真:ひとしさん提供)

後編では、怒濤のラーメン店経営15年を経て、東京で暮らす現在について話を聞いた。

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