東京に移住した後は山田洋次監督の名作映画シリーズ「男はつらいよ」の舞台である柴又に住み、その後は同じ葛飾区内のマンションに引っ越した。「寅さん」のイメージが絶大な影響力を持つ柴又は誰もが知る下町の代表格だが、ひとしさんが住む街の周辺もこぢんまりとした商店が連なる落ち着きのある街だ。
「東京と言っても、このあたりは物価も都心に比べかなり安く、交通の便もいい。かなり暮らしやすいです」(ひとしさん)

急遽決まった秋田への帰郷
ひとしさんは秋田出身だが、大学進学以降は東京や首都圏近郊に住んでいた。地元・秋田の地銀に就職していったん東北に戻ったものの性に合わず2年ほどで退職。大手ファミリーレストランチェーン・ジョナサンの社員として働いていた。
「もともと外食産業に入りたかった。特にジョナサンは当時すごく成長していて、人や店舗を増やしているところでした」(ひとしさん)
ジョナサンに入るとまず練馬の店舗に配属され、その後に西葛西、千葉県の習志野市で働いた。ひとしさんは言う。
「私は秋田県出身、妻が東京出身ですが、実は2人の出会いがジョナサンでした。私は西葛西店に社員時代、店長時代と2度赴任したのですが、妻は私が社員時代からずっとアルバイトで働いていました」
みきこさんもひとしさんと出会ったときのことはよく覚えている。
「私は高校にいるときからジョナサンでアルバイトをしていて、夫とは西葛西店で出会いました。高校卒業後は都内の中小企業で事務をやっていましたが、職場には内緒でジョナサンのアルバイトを夜に続けていました。
そして、高校でバイトを始めたときの指導役が夫でした。冷凍庫の説明などを受けたのですが、正直、このときは印象悪かったですね。でも働き始めて2週間くらいで彼は異動してしまいました」
そんなひとしさんは数年後、店長として再び西葛西に戻ってきた。みきこさんはこのときもまだアルバイトとして働いていて、当時はバイトのまとめ役のようなものをやっていた。そこで旧知のひとしさんに人間関係の相談をし、一気に距離が近くなった。
「最初は他の女性なども含めて飲みに行き、そのうち2人で飲みに行くようになりました」(みきこさん)
無料会員登録はこちら
ログインはこちら