“正しさ”だけでは決められない──「よりよい決断」に必要な思考法とは?ノーベル賞学者が教える「価値観と思考」の授業の中身

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そういうことの評価の仕方を教えてくれる「専門家」はいない。ワクチン接種のリスクとメリットを評価するのとはわけが違う。

だがもちろん、実生活で生じがちな問題を筆頭に、さまざまな道徳的な問題について思考を重ねている人たちや、意見が対立したときに生じがちなあらゆる懸念事項に精通している人たちはいる。病院や大学がそうした人々をことあるごとに採用し、実践的な意思決定を試みているのは、当然といえば当然だ。

私たちにしても、道義的な問題に直面したときに必ず相談したくなる相手がいる、という人は多い。その相手は主に、親、パートナー、聖職者、古い友人などだ。しかしながら、価値観にもとづく決断の権威として広く認識されている専門家集団はいない。「喫煙が健康に及ぼす影響」に専門家集団が存在するようなわけにはいかないのだ。

それから、グループやコミュニティで何かを決定しようとすると、事態はいっそう複雑になる。事実に関して同意を得るのが難しくなるおそれや(もっとも、本書で紹介するツールを会得すれば、信頼できる情報源を特定できるようになると思われる)、異なる価値観の持ち主をはじめ、衝突を辞さない人まで出てくるおそれもある。

この問題については、本書の後半で取り上げる。

専門的意見と決断を下す権限

ここまでの話を通じて、私たちが決断を下すにあたっては、事実にもとづく信頼できる情報源が必要で、情報源を見つけたら、そこから得た情報を自分の価値観に照らして吟味しながら自分にある選択肢について検討し、自分の行動がもたらしうる結果を把握する必要があるとわかった。

だが結局のところ、決断を下す権限は誰にあるのか?

今日の多くの社会では、「各人が影響を受ける決断を下す権利は各人にある」と想定されている。とはいえ、あなたにいちばん影響が及ぶことについて決断を下す権利が、なぜ「あなた」にあるべきなのかと考えたことはあるだろうか?

この問いは、現在さまざまな論争で注目を集めている。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事