“正しさ”だけでは決められない──「よりよい決断」に必要な思考法とは?ノーベル賞学者が教える「価値観と思考」の授業の中身

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リスクをどの程度重視するかは、人によって異なるだろう。たとえば、ある人はこう考えるかもしれない。「半々の確率で薬を飲めば元気になるとはいえ、命を落とすリスクは冒せない。だから手術を受けよう。合併症が起こるおそれはあるが、何度も実施されている手術なのだし、死ぬことはないだろう」。

あるいは少々大胆に、「生存確率が上がるわけでもないのに、手術や術後の回復でつらい思いをしたくない。死ぬかもしれないけれど投薬に賭けよう」と自分に言い聞かせる人もいるだろう。リスクをどのように判断するかは、ひとえにあなたしだいだ。

医師はリスクの大きさを教えることはできても、そのリスクをどれだけ重視すべきかを教えることはできない。

「子どものがんの治療方針」を決めるのが、自分のがんよりも難しい理由

この種の問題は、たとえば子どもががんと診断された親をとりわけ苦しめる。うまくいけば根治が望めると言われても、最悪の結果を招きかねないリスクを伴う治療を我が子に受けさせることなどできない、と感じても不思議はない。その一方で、我が子の病気が進行すると思うといてもたってもいられず、治療をぜひにと望む親もいるだろう。

どのリスクを重視するかは自分自身が決めることであり、専門家は助言のしようがない。我が子ががんで命を落とすリスクと、命は助かるが何らかの後遺症が生涯残るリスクのどちらに重きを置くかを決めることができるのは、自分自身だけだ。

比較の仕方を教えてくれる、複雑な数式や科学実験はない。

しかし、「価値観」とみなされるものと、科学者が試みる事実の把握を対比させることにはさまざまな懸念がある。人の価値観は、家庭環境や己が属する宗教団体にもとづいて形成されることもあれば、身近にいる人や読んだ本の影響を受けて形成されることもある。

ものの価値をどう定義するかは人それぞれであり、もっと言えば、完全に一貫しているとは限らない価値観を、ひとまとめにして受け入れている人がほとんどだ。

こうした価値観にかかわる要素はすべて、決断を下すにあたって悪い結果が生じるリスクをどれだけ重視するか、さらには、自分が得られるかもしれないメリットをどれだけ重んじるかに影響を及ぼす可能性がある。

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