目の前にあるリンゴは、脳がつくり出した映像にすぎない。この世のすべてのものは、存在しているままに見られないという認知の不条理

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光の粒子が目の網膜を刺激したら、網膜の視細胞は光を電気信号に変化させて、視神経を通って脳に情報を送る。光の粒を脳に直接送るのではなくて、0と1からなるデジタル信号をモールス信号のようにして脳に知らせるのだ。このような過程をへて、電気信号が僕たちの脳まで伝わる。

リンゴが本当はどういうカタチなのか知らない

脳の立場で考えてみよう。脳は目も耳もないのに、電気信号があちこちから流れるように入ってくる。

脳はその情報を解析し、やっと電気信号をリンゴのイメージとして僕たちに見せてくれる。目の前にあるっぽいリンゴは、実際には自分の脳がつくりあげた映像なのだ。

ちがう過程をもう1つ見てみよう。もしもコウモリが、皆さんが手に持っているリンゴを見たら、どう思うかな?

種ごとに差はあるものの、僕たちが知っている一般的なコウモリは目が退化していて、事物を超音波によって聞き分けている。音波を放って返ってきたものを耳で聞いて世界を把握する。

コウモリは、世界をはっきりと「見て」いるように行動する。推測ではあるけれど、たぶんコウモリはカラフルな世界を見ているだろう。“目がなくても”だ。

コウモリがリンゴを認知する過程を想像してみよう。リンゴの表面にぶつかったあと、はね返ってきた超音波はコウモリの耳に届く。すると、鼓膜がふるえて聴覚細胞が刺激される。そこから発生した電気信号が、コウモリの小さな脳へ伝達される。

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