なぜ「クレヨンしんちゃん」はアジアで愛されるのか? 不朽のキャラクターを生んだ臼井儀人という作家の魅力
2003年には休刊、2004年以降は月2回の刊行となり、近年は10万部台と成人男性向け漫画誌としては5~10位くらいの位置づけにある(双葉社はこのジンクスにあやかり、2013年から「双葉社カミカゼ賞」を開始している)。
今やドラえもんやコナンに次ぐ国民的キャラクターになったクレしんの主人公「野原しんのすけ」は、臼井氏の処女作「だらくやストア物語」に登場するキャラクター「二階堂信之介」のスピンアウトであった。本作の担当編集であった林克之氏がこのキャラを膨らませれば面白くなると直感し、単独作として独立させることを提案、1990年8月にクレしんがスタートした。
編集長は当時否定的、「幼稚園児が青年誌に出てきて面白いのか」という調子で、内容もかなり過激、あくまで「大人向け漫画誌に登場する子供」というキャラクター設定であった。
「クレヨンしんちゃん」の爆発的ヒットのきっかけ
手ごたえが徐々に出てくるのは1991年10月8日号で初めてメイン表紙を飾り、その12月に「クレヨンしんちゃん特集号」が出てきたあたりの頃だ。その後、1992年1月には「ドラえもん」(1979年~)や「おぼっちゃまくん」(1989年)などを手掛けたアニメ制作会社のシンエイ動画により、1992年4月にテレビ朝日でアニメ放送が始まる。
ゴールデンタイムでの放送ということもあり、原作にある下ネタや過激なギャグは取り払い、しんのすけの子供らしい一面にフォーカスを当てたことが功を奏した。「ギャグアニメにしないで、平成の『サザエさん』にしよう」というこの1992年時点のアニメ制作方針が、その後のクレしんの成否を分けたと筆者は考えている。
視聴率は第1回(4.0%)、第2回(6.4%)から第7回(10%)と最初こそ徐々にあがっていった程度だが、コミックス1巻と2巻(1992年6月)あわせて100万部達成の報告がされた8月には「漫画アクション」でも毎週のように特集が組まれるようになる。9月には視聴率が15%を記録するようになり、3巻(1992年8月)とあわせて300万部を突破する。
アニメ化を受け、視聴者層・コミックス購入者層は、それまでの2年間とは打って変わって「子供」に広がる。もともと大人の世界をかき回す存在としてのしんのすけは、そのまま子供たちのリアリティを表すアイドルのような存在となり、1992年末の視聴率は19.7%を記録、同時間帯の高視聴率番組となる。
劇場映画が企画されたのは1993年、東宝・東映・松竹すべてからラブコールを受け、7月に劇場版第一作「アクション仮面VSハイグレ魔王」が公開され、興行収入約22億円を記録する。
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