「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」…情報は“物語”の形で伝えると圧倒的に効果的になる。「国」や「企業」の結束を強める役割も
しかし、「桃から生まれた桃太郎が、イヌ、サル、キジと一緒に、鬼を退治した」という物語を聞かせれば、その「登場人物」としてすぐに覚えるはずです。桃太郎という「物語」の中で、それぞれの単語が登場人物として関連付けられるからです。
身近なところで言えば、子どもの頃に親から言われた「地道に努力しなさい」といった細かいお説教の言葉を一字一句覚えている人は、ほとんどいないでしょう。
でも、「ウサギとカメ」の物語なら誰でも覚えています。お説教よりも、物語のほうが私たちには確かに「伝わっている」のです。同じように、「勤勉に働くことの大切さ」を説く物語として、「アリとキリギリス」や「三匹の子ブタ」の内容も私たちはよく覚えています。
あらゆる国や社会に、こうした教訓めいた「昔話」があります。人類は長年にわたって「物語」の持つ力を本能的に知っていたからです。人類は「勤勉に働け」という“お説教”だけでは子孫たちには伝わらないと気付いていました。だから、神話や寓話、物語として教訓を伝えることを選んだのです。
今でも、子どもに「自転車に乗るときは気を付けなさい」と伝えるよりも、自転車事故で大けがをした子どもの話を聞かせるほうが、はるかに効果的です。
つまり、人に何かを伝えるときは、それぞれの情報をなるべく「物語」の形で伝えることが大事なのです。
実は、私たちの社会の基盤も「物語」
「物語」の持つ力は、実はそうした「お説教」や「教訓」の範囲をはるかに超えています。大勢の人々をまとめたり、会社のような組織を長く存続させることもできます。
太古の昔から、神話や伝説などが作られ、語り継がれてきたのは、大勢の人々に効果的にメッセージを伝え、納得させることで、社会の秩序を守ったり、権力者の支配を正当化したりするためでした。
私たちが暮らす「国」ですら、いわば想像上の「物語」の産物に過ぎません。
オリンピックやサッカーのワールドカップになると、一度も出会ったことのない人たちが日本代表を「我らのチーム」だとして一緒になって応援し、得点すればハイタッチをして喜び合います。普段は赤の他人のはずですが、このときはなぜか互いに「長い間の友人」だったかのように振る舞います。
アイルランドの政治学者であるベネディクト・アンダーソンは、『想像の共同体│ナショナリズムの起源と流行』(書籍工房早山)という本の中で、国家はいわば「想像の共同体」であるという概念を提唱し、それぞれの国の国民が、歴史などのストーリーを共有することで、「国家」というある種の“虚構”のもとに、人工的に統合されていると説明しています。つまり、人間は、基本的にはストーリーの単位でまとまっているのです。
ビジネスを展開する企業にとっても、物語は大きな役割を果たしています。かつて、パナソニックの創業者である松下幸之助の立志伝や、ソニーの商品開発のストーリーに引かれて、それぞれの会社に入った人は少なくありませんでした。トヨタ自動車やホンダなどの技術競争の物語は、時に社員を鼓舞し、社内の結束を固める役割を果たしてきたのです。
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