今夜復活「夜もヒッパレ」伝説の演出家が語る《往年の歌手にヒットソングを歌わせるだけの番組》があんなにも輝いた納得の理由

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レギュラー番組の『夜も一生けんめい。』は好評で、94年4月には、放送時間を1時間に拡大し、時間帯も22時台に上がった。それに伴ってタイトルも『夜もヒッパレ一生けんめい。』にリニューアルした。
前半は「『ベスト10』の歌を本人以外の人が歌う」コーナー、後半は『夜も一生けんめい。』の形式が継承された、いわば2本立ての番組だった。翌年には前半のコーナーが好評だったため、それを独立させ『THE夜もヒッパレ』とタイトルを変えた。
当時、巷で音楽番組は停滞気味だった。この時代、アーティストはテレビに出ない方が「ありがたみ」があるという風潮もあった。そこで考えたのが、本人が出ないなら、ベストテンにランクインされた曲を、他の人に歌ってもらおうという企画だ。

「チャゲアスを狩人が歌って何が面白いんだ?」

『THE夜もヒッパレ』は、最初、『夜もヒッパレ一生けんめい。』というタイトルで2段構えだったんです。放送時間が1時間に延びたんで、後半30分は『一生けんめい。』で前半30分をヒットパレード形式にした。それで30分「引っ張れ」というのと「ヒットパレード」をかけて、『ヒッパレ』というタイトルにしたんです。

ベストテン形式の番組をやりたいんだけど、ランキングされているような人はあんまりテレビに出る時代じゃなかったんです。だから当時は王道の音楽番組がなかった。

だったら、歌の上手い人に歌わせればいいんじゃないかっていう発想ですよ。それに僕はあくまでも「テレビでエンターテイメントしたい」という考え方。対して「テレビはプロモーションの場」としか考えない人に無理にテレビに出てもらうことはないじゃないですか。だからやっぱり僕がつくるものは〝本流〟じゃないんです。

尾崎紀世彦さんなんて当時の若い人はあまり知らないんだから。でも布施明、狩人、尾藤イサオ、もんたよしのり、桑名正博、つのだ☆ひろ、サーカス、マリーン、渡辺真知子、今陽子、いいエンターテイナーがいっぱいいたんですよ。それをプロデューサーの渡辺弘さんと日テレの編成局長にプレゼンしました。

でも局長は、「チャゲアスを狩人が歌って何が面白いんだ?」「ミスチルを尾崎紀世彦が歌って誰が見るんだ」と。

「そこが面白いんじゃないんですか!」

僕はそう言うんですけど、局長は理解してくれない。

だから第1回の1曲目はわかりやすいように和田アキ子に頼んだんです。当時のチャートで10位の山根康広の『Get Along Together』。アッコは「菅原は、いつも最初だけ私を使う」ってボヤいてたけどね。アッコはやっぱり迫力ありましたよ。あそこから、もう火がつきましたね。

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