「ドミノ・ピザは大量閉店」「シカゴピザは自己破産」…栄枯盛衰の宅配ピザ業界。王者が入れ替わってきたその競争の歴史

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なお、ピザーラを創業した淺野秀則氏(現:フォーシーズ会長)は、映画『E.T.』に影響を受けてドミノ・ピザにフランチャイズでの参加を申し込んだものの、当時のドミノは直営店主義であったため断られ、ピザーラ創業に至ったという。

もし淺野氏がドミノ陣営に取り込まれていれば、「1993年100店、翌年200店、1997年に400店で店舗数・売り上げ国内トップ」というピザーラの躍進はなく、日本人向けのピザのローカライズ化のスピードも遅かっただろう。

余談だが、店舗数が倍増した頃、都内の大学生だった筆者は「ピザーラ」でクルー(配達・調理を担うアルバイト店員)として勤務していた。当時は「ゲッツ」(肉系ピザ)「ジョイズ」(アスパラ・生ハム)といった新商品が相次いで大ヒットを記録し、競合店の少なさもあって、お客様の歓迎ぶりは半端ではなく……サンタの衣装を着たまま、クリスマスに配達先のゲイバーで胴上げをされた経験は、たぶん一生忘れない。

地方普及の立役者は「ピザカリ」脱退組が地方に「宅配ピザ」を広めた

ピザ・カリフォルニア
ピザ・カリフォルニア(画像:公式ホームページより)

ドミノ・ピザやピザーラの出店が追い付かなかった地方では、「ピザ・カリフォルニア」が、宅配ピザの普及に、”ある意味”絶大な役割を果たした。

もともとは貸レコード店「友&愛」の副業として始まった「ピザ・カリフォルニア」は、「平均月商680万円・商圏2km・2万5000世帯、バイク6~8台」(1997年9月30日「外食レストラン新聞」より)もしくはそれ以下という、他社よりはるかにコンパクトな店舗展開に向いていた。

ここに、CDの台頭・レコードの衰退で経営が傾いた「友&愛」のフランチャイジーが一斉に飛びついたことで、各チェーンに先がけて400店を突破。全国まんべんなく進出を果たし、3強が未進出の地域を総取りする、かに見えた。

しかし、当時の報道を見る限り「本部から仕入れるソースが高いので調達先を変えた」「メニューを店独自で開発した」など、フランチャイズとしての求心力を疑うエピソードが数々出てくる。

ほどなく各地で「R社(徳島100店)、P社(栃木11店)、J社(千葉10店)、M社(福岡8店)」(先述の「外食レストラン新聞」より)など大規模なフランチャイジー脱退が相次ぎ、通称「ピザカリ」のノウハウ・設備もそのままに、店名だけ変えた独自の宅配ピザチェーンに変化していった。

ピザクック
「ピザ・ロイヤルハット」店舗はこんな感じ(筆者撮影)

また、ピザ・カリフォルニアが「地方の小さな商圏でも宅配ピザは通用する」ことを証明したせいか、1990年代初頭から「元・ピザカリ」以外の小規模・独自チェーンが地方で台頭してくる。

本筋からは外れるが、あまりにも個性的なチェーンも多いので、簡単に紹介しよう。

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