全盛期は200店舗超→現在56店舗「焼肉屋さかい」が20年で”大幅縮小”した理由とは?焼肉業界は倒産件数”過去最多”で《冬の時代》

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縮小

味は、どれも脂が乗りつつ、肉の旨みを感じられる逸品だ。牛ホルモンは噛み応えのある弾力に新鮮さを感じ、端材を使用したであろう壺漬け熟成焼肉は、飲み込むまでに旨辛のタレと肉汁を存分に堪能できる。焼肉屋さかいでは、仕入れた肉の塊を、店内でカットするオペレーションを徹底しているようで、肉の筋を感じない安定感も嬉しい。

アルコールにも手が伸び、生ビール3杯に、レモンサワー1杯を注文し、合計6083円。2人分にしてはやや少量と考えれば、成人男性の客単価は大体3500円といったところか。

飲食した感想としては、星4.4の評価も妥当に思えるが、気になるのは店舗数の減少だ。焼肉チェーンとしては、味や値段もそつなく映るが、最盛期から約4分の1に縮小したのはなぜか。

大理石調のテーブル(写真;筆者撮影)
壺漬け熟成焼肉。旨辛タレで安定の美味しさ(写真;筆者撮影)

200店舗超→56店舗の背景

規模縮小の背景を探るため、焼肉屋さかいの変遷を振り返ると、第1号店の開業は1993年。アメリカ牛の輸入自由化を追い風に、創業者の地元である岐阜に暖簾を構えた。当時、客単価5000円超が主流だった焼肉業態で、家族4人で訪れて1万円以内に収まる焼肉屋さかいは、ハレの日のご馳走をぐっと近づける庶民の味方となった。

その後は怒涛の勢いで、東海地方を中心に展開を続け、2001年には200店舗を超えるブランドに成長した。しかしその最中、BSEやO157問題や、ユッケによる食中毒騒動の煽りを受け、2010年代初頭には100店舗近くに縮小を余儀なくされる。

2013年にはグループ企業3社が合併し、翌年に立ち上げた国産牛の食べ放題ブランド『肉匠坂井』がヒットする。焼肉の食べ放題としては後発ながら、国産牛を店舗で加工する安心感が受け、以降30店舗近い焼肉屋さかいが、肉匠坂井へと業態転換を遂げた。加えて、不採算の店舗撤退も影響し、焼肉屋さかいは現在の56店舗に落ち着いた。

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