「なぜ芸能界でここまで生き残れたのか?」お騒がせタレントの広末涼子(44)が神格化される理由

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今回の事件でもそれが浮き彫りになっていた。「自称・広末涼子」という呼称で報じられたことに始まり、事件にまつわる話題についてメディアでもさまざまな憶測が飛び交い、SNSではあの手この手でネタにされて面白がられてきた。どんなトラブルを起こしても相変わらずの透明感を保ってきた彼女は、どんなに叩いても大丈夫だろうと思われて、好奇の目を向けられてきた。

マスコミが芸能人のプライバシーを侵害したり、人格批判や人権侵害にあたるような行為をすることに対して、世間の目は厳しいものになっている。そんな中で、自分からトラブルを起こしてしまいがちな広末だけはその例外に置かれ、ずっと悪意に満ちた目線を向けられてきた。

「圧倒的な演技力」「抜群の歌唱力」などの絶対的な芸と呼べるようなものがあったなら、彼女がここまで色眼鏡で見られることはなかっただろう。しかし、彼女は良くも悪くも1990年代最高のスーパーアイドルであり、その透明感のあるビジュアルそのものが魅力の源泉だった。だからこそ、技芸を持つ人間としてのリスペクトを受けることなく、単なるお騒がせタレントとして、暗に見下されてきた。

世間が「ヒロスエ」を作り出した?

そういうマスコミや人々の目線が彼女を追い込んでいったのだ、というのはさすがに言い過ぎかもしれない。もちろん今回の事件も含めて、彼女がかかわっているトラブルのうちの多くは、彼女自身に責任がある。

しかし、長い芸能生活の中で常にバッシングにさらされてきた彼女がおかしくなってしまったのだとしたら、その理由の何割かは異常に過熱する報道にあったのだと考えてもよいのではないか。

「ヒロスエ」というアイコンとして愛され、親しまれてきた彼女は、同時に世間の野次馬的な好奇心の対象として扱われてきた。驚くべきことに、現在までその状況は変わっていない。

彼女を追い詰めたものは何だったのか。それは「広末フィーバー」を作り出し、それに加担してきたマスコミや私たち一人ひとりが向き合わなければいけない問題である。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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