「パンの耳を食べて暮らした」齋藤孝教授が振り返る”極貧20代”。その時代を経て思う「過度に”お金の心配”をする人が失うもの」とは?

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また結婚前のこと。僕がアパートでひとり暮らしをしていたところ、就職した友だちが会社を辞めて大学院に行くので、学校が始まるまで僕の部屋に転がり込み、居候のようなことをやっていた時期がありました。

で、ある朝起きると、彼がいない。どこへ行っていたのかと尋ねると、近所のパン屋さんでパンの耳をもらってきたと。そいつはいいねと、ふたりでしばらくパンの耳を食べて暮らしたのです。

ないならないなりに、どうにかやってみる

今思うと、「貧乏すぎるだろう!」とツッコミを入れたくなりますが、居候の友だちとパンの耳をかじっていた頃は生活自体、とても面白いものがありました。

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お金がないことを平気で笑い合い、不安にもみじめにも思わない。さまざまな生活の工夫もしましたし、頭も使いました。今、振り返ると、決して悪い経験ではなかったと思えます。

まあ、そうはいっても、ずっとお金がないのは困ります。精神的に参ってしまうこともあるでしょう。働く気力も意欲も失せてしまうような、極端な困窮は当然避けなければなりません。

ただ、20代のうちは「お金がないから何もできない」とは考えず、ないならないなりに、どうにかやってみるのもいいのではないのかという気がします。

君は幸い、会社に就職して毎月、給料ももらっている。一方で将来不安もある。だから、投資や貯蓄について勉強するのは大切なことでしょう。

ただ、お金がないという恐れにとらわれすぎると、いざというとき、グッと底力を発揮して勝負しようというときでも、気持ち的に守りに入ってしまう危険性がなきにしもあらずかもしれない。

ですから、お金への執着はほどほどに。

もちろん、時代が違うのだから、僕の真似をしろとは言いません。

ただ、たとえば、お金がないからこそ、結婚してふたりでなんとかやっていく。そうすると人生に勢いも出て、面白味も増し、予定調和ではない貴重な経験が得られるのではないか。

現在の何かと守りに入りがちな風潮を考えると、そんな大胆──君からしたら無責任?──な提案もしたくなってしまいますね。

齋藤 孝 明治大学教授

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さいとう たかし / Takashi Saito

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー著者、文化人として多くのメディアに登場。著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社)、『読書力』(岩波書店)、『雑談力が上がる話し方』(ダイヤモンド社)、『質問力』(筑摩書房)、『語彙力こそが教養である』(KADOKAWA)、『読書する人だけがたどり着ける場所』(SBクリエイティブ)ほか多数。著書発行部数は1000万部を超える。

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