米国内での評価がどうであれ、フィッシャーはロシア人が最も好ましく思う米国人だった。チェスの本質的な美しさを一般の人々が評価・理解していたこの国において、チェスに臨むフィッシャーの風格はプロパガンダを凌駕した。挑戦者決定戦において、フィッシャーは極めて手強い対戦相手の2人を相手に、それぞれ前代未聞の6対0で圧勝した。グランドマスターの対局が引き分けで終わることが非常に多い中で、驚くべき結果だった。
スパスキーさえもがフィッシャーの才能に最高の敬意を表し、フィッシャーが6局目に勝ったときには、観衆とともに拍手を惜しまなかった。フィッシャーがチェスの究極の天才だとしたら、ロシアのスパスキーは一流の人物だったのだ。
天才は時代につれ
エドワード・ズウィック監督は、フィッシャーの苦しみにも触れている。世界チャンピオンの座を米国人に奪われるのをロシアは何としてでも阻止しようとしているのではないか、と彼が不安視したのは無理もない。しかし当然の懸念がついにはパラノイア(妄想症)に傾き、フィッシャーは親友や相談相手にも敵意を示し始めた。自身がユダヤ系であったにもかかわらず、反ユダヤ主義者となった。
インターネットが発達した今の世界であったなら、パラノイアと個人としての欠点のせいで、フィッシャーはチャンピオンになるずっと以前に足をすくわれていたのではないだろうか。チェス競技から突然身を引いた後、フィッシャーの精神的な病はさらに悪化した。
後年の敵意に満ちた暴言と暗い心の内を容赦することはできない。だが、これほど抜きんでた創造性と才能を備え、チェスを通じて極めて多くの人々に感動を与えた人物が、現在ならもっと早い段階でキャリアに終止符を打たれていただろう、と考えるのは悲しいことだ。
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