ネットがない時代だからこそ天才が生まれた

チェス世界一フィッシャーのいた時代

東西の威信をかけた対局があった(写真:Boris15 / PIXTA)

ハリウッドの新作映画『ポーン・サクリファイス』は、苦難の人生を送ったチェスの天才、ボビー・フィッシャーの半生を描いた秀作だ。天才児といわれた幼年時代から、1972年に29歳でロシアの世界チャンピオン、ボリス・スパスキーに挑戦した歴史的な対局までを描いている。

フィッシャーを演じたのはトビー・マグワイアで、輝いていた時代のフィッシャーを知っている私たちにとって、完璧な演技だ。

この映画は米ソ冷戦のさなか、重要なイベントとして注目されたチェス試合を描く。フィッシャーは精神面に問題を抱える一方で、チェス盤に向かったときには極めて高い能力を発揮する創造的天才だ。

冷戦が生み出した人気

ブルックリン出身の風変わりな若造が、ロシアの国家的スポーツでソビエト帝国に挑戦するストーリーは、ジャーナリストの格好の報道ネタになった。この対局は2カ月間にわたり、毎日のように世界中の主要新聞の1面を飾った。解説者が1日当たり最長5時間も一手一手の動きを実況分析した。

テレビは数チャンネルしかなく、DVDも有料放送もなかった。だがそれだけで人々がテレビにくぎ付けになったのではない。奇想天外な状況、見事なチェスの進行、そして冷戦があったからこそ、フィッシャーは世界中で超有名人になった。

米国のチャンピオンだったフィッシャーにとってこの試合は、20年の総仕上げだった。スーパースターとしてはそれまで比較的質素な暮らしをしてきたが、ついに25万ドルの賞金が懸かる試合に臨むことになった。彼は、大金が動かない試合は米国では軽視されることをよく理解していたので、6ケタの賞金はチェスの地位向上を示すシンボルだと歓迎した。

一方ロシアにとってこの試合はカネの問題ではなく、人々の心を掌握する心理戦だった。チェスの世界は長年にわたり、共産主義体制の優位性を証明する格好の戦場だった。

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