3月1日の日中には、テルアビブにある大学のB教授(56歳)が自宅に招待してくれて、話す機会があった。
Bさんはウクライナ出身。ソ連からの出国が認められるようになってまもなく、1990年にイスラエルに移住した。ヘブライ語とロシア語文学が専門で、昨年、日本のある大学に特任教授として招聘され、4カ月間滞在した。「日本は素晴らしかった」と繰り返し、異文化への理解も柔軟な人との印象を受けたが、姿勢は強硬だった。
「イスラエル軍はガザから(2005年に)撤退しパレスチナ人に任せたが、彼らはその機会を生かさなかった。アラブ人のイデオロギーはイスラエルを消滅させること。われわれは反撃するだけだ。ほかに選択肢はない」と言い切る。
「国際的な非難を受けている入植地問題をどう考えるか」と質問すると、「そこは武力によって住民を追い出した土地ではない。どこの国にも所属していない。かつては入植地で多くのパレスチナ人も働いていた。世界中が反イスラエルキャンペーンを張るのは理解できない」と正当化した。
リベラル派もテロ攻撃で考えを変えた
このように、反ネタニヤフ政権の世論も高まっている一方、対ハマスでは国民の姿勢は強硬だ。この点について、テルアビブで話を聞いた治安関係のコンサルタントCさんは、「ネタニヤフ政権の姿勢を支持するかどうかと、国民一般の強硬姿勢とは別問題」と断ったうえで、こう語った。
「確かに75%の国民はどのような取引をしようと人質解放を求めている。ただ、テロ攻撃を受けて国民世論は劇的に右に移動した。平和は可能と信じていた人は考えを変えた。特にガザ周辺に住むイスラエル人は、共存を信じるリベラル派の人が多く、支援を通じてガザ住民を直接知っていた。攻撃の第1波はハマス戦闘員、第2波はガザからの群衆であり、知り合いのユダヤ人を殺すことに躊躇しなかった」
そして「ハマスとの間で信頼に基づく平和はなくなった」と断言する。
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